1月20日、いよいよホテル前の設置場所へ作品を運ぶことになりました。
ホテルは古い街の中にあるのでたどり着くまでの道はかなり細いです。
大きなクレーン付トラックは本当に道幅ギリギリです。
みんなは呑気でしたが僕はもし通れなかったらと気が気でありませんでした。
何とかホテル前に到着して事前に作ってもらっていたコンクリート基礎に乗せます。
地震が全くない地域だということで心棒は無しで、モルタルで圧着するだけにしました。
作業場に到着した時の原石がおよそ8トン、今この時点で4トン強です。
仕上がり予定も4トン弱はあるので押しても引いても動きません。
職人さんたちに手伝ってもらって狙った場所へ着地成功。
大きな山場を越えました。
28日の朝にイスタンブールへ飛ぶ予定なので作業できるのはこれからあと7日間です。
太く残した真ん中をシェイプして又の部分を貫通させて全体を磨いたら終わりです。
ここまでくればあとは時間との勝負と必死に仕事したため今後の写真はありません。
いきなり完成写真です。
1月26日、なんと1日余して終わりました。
過去にないほど体はボロボロでしたがこの瞬間を味わえば疲れは飛んでいきます。
上のテラスからの写真、気球が飛び交うこんな美しい景色の中にこのホテルはあります。
原石到着からちょうど1か月、道具集めからのスタートでよくまあ終わったものです。
自分も褒めてあげたいですが本当にいろいろな方達の助けがあって完成しました。
次回はその辺のお話と余った1日だけのカッパドキア観光のことを書こうと思います。
2015年2月23日月曜日
2015年2月22日日曜日
トルコのモニュメント その3
ホテルの屋上から見たカッパドキアの初日の出です。
綺麗なものを見ると人のために祈りたくなります。
自分のピンチなんて小さなものです。
丈夫なテントも作ってもらいいよいよ本格始動です。
順調に作業を進めていたのですが数日後、、、大寒波がやってきました。
雪が強風で舞いテントはあまり意味がないほど石の上に積もります。
明け方には―20度以下まで下がり日中でもずっと氷点下の日が続きました。
寒いのは我慢しますが困ったのはコンプレッサーが凍って空気が出ないのと
防塵マスクの弁が凍って息ができなくなることでした。
気づけばツララでセイウチのように、貴重な経験です。
そんな僕を見かねた近所のおばちゃんが何かを言いながらセーターをくれました。
質の良い手編みのセーターでしたが首が細すぎて頭が入りませんでした。。。
でもそんなことは関係ありません、その気持ちが嬉しいんです。
毎日見に来る子供たちがお菓子をくれたり
いろんな人たちがお茶に何度も誘ってくれたり、トルコの人達素敵です。
お借りしていた土地の前にあるハールンさんという方の会社では
毎日の昼食を社員食堂で食べさせてもらっていました。
自分でトレイを持って注いでもらう、懐かしい給食の要領です。
この暖かい食べ物がつらい作業を支えてくれました。
1週間ほどで寒波も過ぎ去り1月12日に石を立てました。
ここから運搬に耐えられるギリギリまでこの場所で削り取って
仕上げは設置場所へ運んだ後にします。
当初の帰国予定日は1月17日、分かっていましたが延期確定です。
1月中には帰国しなければならなかったので30日の便に変更してもらいました。
それでも全く終わる保証もなく不安な日々は続きます。
2015年2月18日水曜日
トルコのモニュメント その2
カッパドキアに戻り原石を待つ間に原石の形を想像して5分の1で再現してみました。
ちなみにこれはカッパドキアの柔らかい凝灰岩です。
シミュレーションを兼ねてそこから模型を作ります。
乱暴にしすぎて真ん中で折れてしまいました。。。
原石の形状から判断して予定していた形通りにはできそうもありません。
そうかといって石を切って小さくもしたくなかったので
下の部分を少し変えてバランスを取りました。
日本で作ってきた模型と比べてみてください。
石は足すことができない素材です。
模型に忠実になってサイズを落とすよりも出会ったその石なりにこちらが変化し
時には足りない部分すらも味方に付けて作品を作るべきだと思います。
12月29日、やっと原石が作業場へ届きました。
が、指示した底出し(底辺を真っ平に切る)をまるでしていません。
僕の使うハンドツールではこの作業だけでも軽く1日はロスします。
まあ余計なところを切られるよりはずっとマシですが。
底を平にするだけでこの量の石を取るわけです。
工場の機械で切ればあっという間だったものを、、、
とマスクの中でぶつぶつ言いながらも底出し終了。
気づけば31日、明日は初日の出を見てから仕事しよう。
明日からがスタートだと気持ちを引き締めた大晦日でした。
ちなみにこれはカッパドキアの柔らかい凝灰岩です。
シミュレーションを兼ねてそこから模型を作ります。
乱暴にしすぎて真ん中で折れてしまいました。。。
原石の形状から判断して予定していた形通りにはできそうもありません。
そうかといって石を切って小さくもしたくなかったので
下の部分を少し変えてバランスを取りました。
日本で作ってきた模型と比べてみてください。
石は足すことができない素材です。
模型に忠実になってサイズを落とすよりも出会ったその石なりにこちらが変化し
時には足りない部分すらも味方に付けて作品を作るべきだと思います。
12月29日、やっと原石が作業場へ届きました。
が、指示した底出し(底辺を真っ平に切る)をまるでしていません。
僕の使うハンドツールではこの作業だけでも軽く1日はロスします。
まあ余計なところを切られるよりはずっとマシですが。
底を平にするだけでこの量の石を取るわけです。
工場の機械で切ればあっという間だったものを、、、
とマスクの中でぶつぶつ言いながらも底出し終了。
気づけば31日、明日は初日の出を見てから仕事しよう。
明日からがスタートだと気持ちを引き締めた大晦日でした。
2015年2月17日火曜日
トルコのモニュメント その1
昨年の12月21日、友人のホテルにモニュメントを作るためにトルコに渡りました。
到着早々雪に見舞われ翌日現場のホテルへは徒歩での参上となりました。
ホテルがあるのはカッパドキアのウチサルという村で小高い岩山のようなところです。
通常は車で上がれる坂道の上にホテルが、もう完成間近に見えました。
参考までに晴れた日のウチサル全景です。
作業中ずっとあの岩山に登ってみたいと思いながら見あげていました。
工事中のホテルを見ながら依頼者2人と打ち合わせ。
そこで初めてホテルの顔とも言うべき正面玄関に作品を作ってほしいと言われました。
僕は1m程の物を中庭か室内へ作るつもりでしたので日程も道具もその程度の準備です。
この玄関に作るなら2.5m以上はないと見栄えがしないし
それを作るということは費用も時間も何倍もかかることを説明しました。
しかし彼らの勇気とホテルへの情熱は曲がることなく、僕も覚悟を決めました。
「やりましょう!!」
近隣の石材業者を回りましたが目当ての原石に出会えず
それならばと450㎞離れたアフヨンという大理石の産地に出向きました。
片道4時間、シルクロードをひた走り日帰りでの強行軍です。
アフヨン滞在は3時間、普通なら数日かけて石を吟味したいところですが時間がありません。
地元の知人を頼って何とか条件に合う原石を運んできてもらいました。
ご覧の通り2面しかカットしておらずヒビの確認が困難な原石です。
しかし時間の無さと金額の安さ、石自体の質の良さもありギャンブル的に即決。
もしヒビが出てきてもそれをフォローする方法もあります。
工場に底出しと余分なところのカット、その後の運搬を依頼してアフヨンを後にしました。
ヒビの有無やカット作業を確認せずに帰ることも不安でしたが
それより何より僕自身が予定以上の巨大な石を如何に1か月で彫り終えるのか
車窓の景色を眺めながら実は途方に暮れていました。
帰りの道中彼らの友人が営むドライブインで特別な料理を食べさせてもらいました。
能天気な僕はその美味しさに「なんとかなるさ」と勇気付けられるのでした。
到着早々雪に見舞われ翌日現場のホテルへは徒歩での参上となりました。
ホテルがあるのはカッパドキアのウチサルという村で小高い岩山のようなところです。
通常は車で上がれる坂道の上にホテルが、もう完成間近に見えました。
参考までに晴れた日のウチサル全景です。
作業中ずっとあの岩山に登ってみたいと思いながら見あげていました。
工事中のホテルを見ながら依頼者2人と打ち合わせ。
そこで初めてホテルの顔とも言うべき正面玄関に作品を作ってほしいと言われました。
僕は1m程の物を中庭か室内へ作るつもりでしたので日程も道具もその程度の準備です。
この玄関に作るなら2.5m以上はないと見栄えがしないし
それを作るということは費用も時間も何倍もかかることを説明しました。
しかし彼らの勇気とホテルへの情熱は曲がることなく、僕も覚悟を決めました。
「やりましょう!!」
近隣の石材業者を回りましたが目当ての原石に出会えず
それならばと450㎞離れたアフヨンという大理石の産地に出向きました。
片道4時間、シルクロードをひた走り日帰りでの強行軍です。
アフヨン滞在は3時間、普通なら数日かけて石を吟味したいところですが時間がありません。
地元の知人を頼って何とか条件に合う原石を運んできてもらいました。
ご覧の通り2面しかカットしておらずヒビの確認が困難な原石です。
しかし時間の無さと金額の安さ、石自体の質の良さもありギャンブル的に即決。
もしヒビが出てきてもそれをフォローする方法もあります。
工場に底出しと余分なところのカット、その後の運搬を依頼してアフヨンを後にしました。
ヒビの有無やカット作業を確認せずに帰ることも不安でしたが
それより何より僕自身が予定以上の巨大な石を如何に1か月で彫り終えるのか
車窓の景色を眺めながら実は途方に暮れていました。
帰りの道中彼らの友人が営むドライブインで特別な料理を食べさせてもらいました。
能天気な僕はその美味しさに「なんとかなるさ」と勇気付けられるのでした。
2015年2月5日木曜日
国際交流展
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