2014年9月8日月曜日

Ephesus

到着翌日いよいよ観光、まずはイズミール近郊のエフェソス遺跡です。

CIMG6311.jpg

紀元前16世紀頃からイオニア人がこの地に住みつき
都市として形成されたのが紀元前11世紀頃だそうです。
町の中心をなすアルテミス神殿が作られたのが紀元前550年頃、
その時間的な歴史だけでも一見の価値はあるのですが
ここエフェソスは昔から地理的に大変重要な位置であるため
僕たち日本人も歴史で学んだ固有名詞で溢れています。
そういう意味でもここは非常に興味深い場所です。

まずは紀元前334年、マケドニアのアレキサンダー大王が東方遠征として
当時ペルシアの支配下にあった小アジア(現在のトルコ)に進軍、
そのときこのエフェソスも征服されました。
アレキサンダーが死ぬ紀元前323年まではマケドニア支配下に、
その後は彼の部下の統治となりヘレニズム都市として栄えたのですが
紀元前2世紀には共和政ローマが奪いアジア属州の首府とされました。
現在見られる遺跡のほとんどはこのローマ統治時代に作られたもので
当時世界最大級の円形劇場や図書館などが作られ文化的都市として発展しました。

CIMG6331.jpg

CIMG6324.jpg

あのユリウス・シーザーも彼を暗殺したブルータスも
シーザーの死後共和政ローマで大きな権力を握った元部下アントニウスと
その愛人であった絶世の美女クレオパトラもこの地を訪れています。
キリスト教も早くから伝わっており
聖母マリアと使徒ヨハネが余生を送った地とも言われています。
実際にヨハネの墓所やマリアが最後に住んでいた家(復元)などが近辺にあります。

Dsc00011.jpg

そのためキリスト教徒にとっても重要な巡礼地であり
僕が聖母マリアの家に入ったときも涙ながらにお祈りする信者の方がいました。
その後7世紀頃までは東ローマ帝国がこの町を統治していましたが
度重なるアラブ人の攻撃のため8世紀には放棄され町は荒廃していったようです。

かなり省略してこの都市の歴史を書いてきましたが言いたいことは
ここは一時期世界の中心だったということです。
現代人である僕が見ても当時勢力を拡げる上でトルコという土地、
特にエーゲ海に面していた西側は何が何でも取っておくべきだとわかります。
実際に遺跡の中に立ちその時代の政治情勢や地理的条件、
食物を得るための風土などを考えるとこの町がどれだけ重要だったか想像できます。
歴史は結果だけが事実として残りその結果にたどり着くまでの過程は常に想像の域です。
誰でも自由に想像して楽しめるのが歴史の魅力ですね。

CIMG6307.jpg


2014年9月2日火曜日

乗り継ぎ

今年はわけあってトルコに行ってきました。
「わけ」というのはそもそも展覧会で行くはずだったルーマニアが中止となり
ルーマニアに行くための経由地としていたトルコだけが旅の目的地になったのでした。
しかしトルコはかねてより行きたかった僕の憧れの国です。
意気揚々とイスタンブールへ飛び最初の目的地イズミールへの乗り継ぎをしようとすると

CIMG6284.jpg

豪雨によりほぼ全便がキャンセルといういきなりのアクシデントです。
時間はすでに夜7時、いつ飛ぶかわからない振替便のチケットを求めて
チェックインカウンターには近づく隙間もないほどの人だかりです。
その日の移動を諦めかけていたその時
「安部さんですか?」といきなり流暢な日本語でトルコ人男性に名を呼ばれました。
なぜ名前を知っているのか、訳が分からず新手の窃盗かとすら考えました。
すると彼が「ガイドのカフカです、振替便のチケットを取ってくるのでお待ちください」
と人ごみの中へ消えていきました。
結局彼はイズミールで落ち合うはずだった僕たちのガイドさんだったのですが
イタリアで培った僕の用心深さから旅行会社に電話で確認してしまいました。
彼はイスタンブール在住の方で同じ便でイズミールへ飛ぶ予定だったところ
飛行機の欠航を知って空港内で僕たちを探してくれたそうです。
振替便のチケットを手に、汗まみれで戻ってきた彼を見て
疑って申し訳なかったなと反省しました。

振替便も遅れに遅れて待つこと5時間、
イズミールのホテルへ着いたのは午前2時ころのことでした。
少し眠ってカーテンを開けると窓からはエーゲ海が、

CIMG6289.jpg

やっとトルコに来たという実感と、旅への期待感で胸が高鳴りました。
まだ観光していませんが今日はここまでにします。
次回はイズミール近郊のエフェソス遺跡などについて書きます。