前回の投稿から随分時間が経ってしまいました。
トルコの続きです。
あまりにも有名な観光地なのでこの写真でどこだかお分かりの方も多いと思います。
トルコ中央部にあるカッパドキアと呼ばれる地域です。
この地域にある3つの火山によりこの奇妙な景色が出来上がりました。
噴火で流出した溶岩で出来た火成岩と緩やかな活動期に堆積した火山灰で出来た凝灰岩。
時期により異なる火山活動で様々な物質が特殊な地層を形成しています。
その後の風雨や川の流れによって柔らかい凝灰岩の層は浸食され
このような奇岩群が出来上がり現在も形を変えていっています。
その柔らかい凝灰岩のおかげでこの地域には沢山の遺跡も残りました。
2000年前、トルコ人は呪われた地「ギョレメ」として近づかなかったこの一帯に
ローマ帝国の迫害から逃れてやって来たキリスト教徒が住みつきました。
突出したように残った凝灰岩の岩山をくり抜き数多くの修道院が作られました。
しかし今度は次第に激しくなったイスラム教徒の迫害から逃れるため地下に身を隠します。
どこまで続いているのか未だにわかっていない巨大な地下都市です。
僕が行ったカイマクルという地下都市は地下8層、
当時1万5千人もの人口を擁していたと推定されるほどの大きさです。
しかもこの地域にはこれ以上の規模の物も含めて400以上の地下都市があるそうです。
通路はこのようにわざと低く狭く迷路のように作って敵の侵入に備えています。
途中で通路を塞ぐための丸い岩まで仕掛けられていました。
まるでインディージョーンズのようですがそれだけ深刻な危機を感じていたのでしょう。
煙が敵に見つからないように煮炊きは夕闇や朝もやに紛れて行い
光が漏れないように細心の注意を払って暗闇で生活していたそうです。
しかしこれらの地下都市はキリスト教徒が住みつくずっと前、
今から5000年以上も前からあったと言われています。
キリスト教徒の手によって改装、拡大されたことは間違いないでしょうが
それ以前でも相当大きな規模の都市だったと思われます。
一体誰の手によって作られどのような歴史をたどったのか。
なぜ身を隠して生活しなければならなかったのか、謎に満ちた遺跡群です。
凝灰岩の奇妙な地形から呪われた地と言われていたのはもしかしたら
これらの地下都市に近寄らせないための古い言い伝えだったのかもしれません。
そんな妄想もどこ吹く風と、ただただ美しいカッパドキアでした。