2014年12月11日木曜日

再びトルコへ

今年の夏に訪れ、このブログでも書いてきましたトルコへ再び行くことになりました。
前回の旅でとあるホテルオーナーと運命的な出会いを果たし
話はとんとん拍子に彼らの新しいホテルへ作品を収める運びになりました。
カッパドキアの絶景に臨む素晴らしいホテルです。

http://www.millstonecavesuites.com/en/index.html

オープンは来年3月とのことでホテルもHPも今まさに建設中です。
日本語の流暢な2人のイケメンオーナーが迎えてくれますので
皆さんもかの地へご旅行される際は是非ご利用ください。

この地域は以前のブログでもご紹介しましたが
凝灰岩が削られて出来た奇妙な地形から世界遺産になっていることで有名です。
その岩山を削って作られた多くの遺跡や現在も使われている住居、
そしてそれらを利用して経営している岩窟ホテルも多数あります。
彼らのホテルも岩山を削って作られた遺跡を大改装するもので
世界遺産の一部ということで国への許可の申請やら何やら
着工までには大変な苦労があったそうです。

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当初の依頼は独立した大理石の彫刻をというものでしたが
せっかく天然の岩壁がむき出しになっているのが魅力の空間ですから
そこに直接、全く新しいタイプの抽象的なレリーフを彫りたいと提案しました。
部屋やレストランの壁に絵を飾る代わりに壁が彫りこまれたレリーフがあったら
きっと面白い空間になりますと模型を作って説得し続けました。
最初難色を示した2人でしたが今では完全に意図を理解していただき
僕の思う通り自由にやってくださいと万全の態勢で待っていてくれています。

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before
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after

今は独立した大理石彫刻と壁へのレリーフの2つを作るつもりで
勿論現地制作ですので約1か月の滞在を予定しています。
トルコは白大理石もイタリアのものに劣らぬ高品質のものが取れます。
詳細は現地に行って考えるので構想次第では帰国日を延ばしてでも
その場所でしか味わえないような良いものを残したいと思っています。
頑張ります。

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2014年10月6日月曜日

Cappadocia

前回の投稿から随分時間が経ってしまいました。
トルコの続きです。

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あまりにも有名な観光地なのでこの写真でどこだかお分かりの方も多いと思います。
トルコ中央部にあるカッパドキアと呼ばれる地域です。

この地域にある3つの火山によりこの奇妙な景色が出来上がりました。
噴火で流出した溶岩で出来た火成岩と緩やかな活動期に堆積した火山灰で出来た凝灰岩。
時期により異なる火山活動で様々な物質が特殊な地層を形成しています。
その後の風雨や川の流れによって柔らかい凝灰岩の層は浸食され
このような奇岩群が出来上がり現在も形を変えていっています。
その柔らかい凝灰岩のおかげでこの地域には沢山の遺跡も残りました。

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2000年前、トルコ人は呪われた地「ギョレメ」として近づかなかったこの一帯に
ローマ帝国の迫害から逃れてやって来たキリスト教徒が住みつきました。
突出したように残った凝灰岩の岩山をくり抜き数多くの修道院が作られました。
しかし今度は次第に激しくなったイスラム教徒の迫害から逃れるため地下に身を隠します。
どこまで続いているのか未だにわかっていない巨大な地下都市です。
僕が行ったカイマクルという地下都市は地下8層、
当時1万5千人もの人口を擁していたと推定されるほどの大きさです。
しかもこの地域にはこれ以上の規模の物も含めて400以上の地下都市があるそうです。

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通路はこのようにわざと低く狭く迷路のように作って敵の侵入に備えています。

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途中で通路を塞ぐための丸い岩まで仕掛けられていました。
まるでインディージョーンズのようですがそれだけ深刻な危機を感じていたのでしょう。
煙が敵に見つからないように煮炊きは夕闇や朝もやに紛れて行い
光が漏れないように細心の注意を払って暗闇で生活していたそうです。

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しかしこれらの地下都市はキリスト教徒が住みつくずっと前、
今から5000年以上も前からあったと言われています。
キリスト教徒の手によって改装、拡大されたことは間違いないでしょうが
それ以前でも相当大きな規模の都市だったと思われます。
一体誰の手によって作られどのような歴史をたどったのか。
なぜ身を隠して生活しなければならなかったのか、謎に満ちた遺跡群です。
凝灰岩の奇妙な地形から呪われた地と言われていたのはもしかしたら
これらの地下都市に近寄らせないための古い言い伝えだったのかもしれません。
そんな妄想もどこ吹く風と、ただただ美しいカッパドキアでした。

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2014年9月8日月曜日

Ephesus

到着翌日いよいよ観光、まずはイズミール近郊のエフェソス遺跡です。

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紀元前16世紀頃からイオニア人がこの地に住みつき
都市として形成されたのが紀元前11世紀頃だそうです。
町の中心をなすアルテミス神殿が作られたのが紀元前550年頃、
その時間的な歴史だけでも一見の価値はあるのですが
ここエフェソスは昔から地理的に大変重要な位置であるため
僕たち日本人も歴史で学んだ固有名詞で溢れています。
そういう意味でもここは非常に興味深い場所です。

まずは紀元前334年、マケドニアのアレキサンダー大王が東方遠征として
当時ペルシアの支配下にあった小アジア(現在のトルコ)に進軍、
そのときこのエフェソスも征服されました。
アレキサンダーが死ぬ紀元前323年まではマケドニア支配下に、
その後は彼の部下の統治となりヘレニズム都市として栄えたのですが
紀元前2世紀には共和政ローマが奪いアジア属州の首府とされました。
現在見られる遺跡のほとんどはこのローマ統治時代に作られたもので
当時世界最大級の円形劇場や図書館などが作られ文化的都市として発展しました。

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あのユリウス・シーザーも彼を暗殺したブルータスも
シーザーの死後共和政ローマで大きな権力を握った元部下アントニウスと
その愛人であった絶世の美女クレオパトラもこの地を訪れています。
キリスト教も早くから伝わっており
聖母マリアと使徒ヨハネが余生を送った地とも言われています。
実際にヨハネの墓所やマリアが最後に住んでいた家(復元)などが近辺にあります。

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そのためキリスト教徒にとっても重要な巡礼地であり
僕が聖母マリアの家に入ったときも涙ながらにお祈りする信者の方がいました。
その後7世紀頃までは東ローマ帝国がこの町を統治していましたが
度重なるアラブ人の攻撃のため8世紀には放棄され町は荒廃していったようです。

かなり省略してこの都市の歴史を書いてきましたが言いたいことは
ここは一時期世界の中心だったということです。
現代人である僕が見ても当時勢力を拡げる上でトルコという土地、
特にエーゲ海に面していた西側は何が何でも取っておくべきだとわかります。
実際に遺跡の中に立ちその時代の政治情勢や地理的条件、
食物を得るための風土などを考えるとこの町がどれだけ重要だったか想像できます。
歴史は結果だけが事実として残りその結果にたどり着くまでの過程は常に想像の域です。
誰でも自由に想像して楽しめるのが歴史の魅力ですね。

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2014年9月2日火曜日

乗り継ぎ

今年はわけあってトルコに行ってきました。
「わけ」というのはそもそも展覧会で行くはずだったルーマニアが中止となり
ルーマニアに行くための経由地としていたトルコだけが旅の目的地になったのでした。
しかしトルコはかねてより行きたかった僕の憧れの国です。
意気揚々とイスタンブールへ飛び最初の目的地イズミールへの乗り継ぎをしようとすると

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豪雨によりほぼ全便がキャンセルといういきなりのアクシデントです。
時間はすでに夜7時、いつ飛ぶかわからない振替便のチケットを求めて
チェックインカウンターには近づく隙間もないほどの人だかりです。
その日の移動を諦めかけていたその時
「安部さんですか?」といきなり流暢な日本語でトルコ人男性に名を呼ばれました。
なぜ名前を知っているのか、訳が分からず新手の窃盗かとすら考えました。
すると彼が「ガイドのカフカです、振替便のチケットを取ってくるのでお待ちください」
と人ごみの中へ消えていきました。
結局彼はイズミールで落ち合うはずだった僕たちのガイドさんだったのですが
イタリアで培った僕の用心深さから旅行会社に電話で確認してしまいました。
彼はイスタンブール在住の方で同じ便でイズミールへ飛ぶ予定だったところ
飛行機の欠航を知って空港内で僕たちを探してくれたそうです。
振替便のチケットを手に、汗まみれで戻ってきた彼を見て
疑って申し訳なかったなと反省しました。

振替便も遅れに遅れて待つこと5時間、
イズミールのホテルへ着いたのは午前2時ころのことでした。
少し眠ってカーテンを開けると窓からはエーゲ海が、

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やっとトルコに来たという実感と、旅への期待感で胸が高鳴りました。
まだ観光していませんが今日はここまでにします。
次回はイズミール近郊のエフェソス遺跡などについて書きます。

2014年8月21日木曜日

夏の草

この1か月個展会場に張り付き、その後トルコに行き(今後ブログアップします)
帰国後すぐ打ち合わせで宮城に行くなどで不在にしておりました。
久々にアトリエに行ってみると雑草が背丈ほどにもなっており
都会では考えにくいでしょうが
本当に森に覆いつくされるのではないかとすら危惧します。

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しかし相変わらずの猛暑でアトリエ内の温度計は40度を指しています。

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危険な温度ですので無理せず1時間ほど草刈りして終了としました。
皆さまも夏の草刈には十分ご注意を。

2014年7月27日日曜日

個展終了

2週間にわたり開催いたしました安部大雅彫刻展。
昨日搬出し今朝無事にトラックから作品を降ろして終了しました。

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最終日、最後のお客様を見送った後の会場にはまるで
戦の終わった後の戦場のような空虚な雰囲気が漂っていました。
会場にほぼ毎日張り付いて作品の作る空気の中で僕も必死に思いを伝えました。
作品を売るのではなく、自分の彫刻に対する概念を売ろうと下手くそなりに喋りました。
結果はすぐに表れるものではありません。
もしかしたら永遠に表れないかもしれません。
それでも今出来ることを淡々と行っていくしかないと改めて感じます。

見に来てくださった皆様、本当にありがとうございました。
皆様の言葉が道しるべです。
機会がありましたらどうかこれからの僕も見てやってください。
何卒よろしくお願いいたします。


2014年7月4日金曜日

準備完了

15日からの個展用に予定していたすべての作品が完成しました。
去年個展をやろうと決めてからコツコツと作り続けてきた新作約20点、

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こうして梱包してしまうとパレット2枚に驚くほどこじんまりと収まります。
何度もシミュレーションして「あそこにこれを置いて・・・」と考えてきたので
大丈夫なはずなのですがこの写真を見ると本当に足りているのかと不安になります。
あ、忘れてましたがこれら以外に今回は2mの大作を一つ展示します。
いりや画廊さんは画廊内部までトラックで入って行けるので
かなりの重量物も設置できるという彫刻家には魅力的な画廊です。
それで調子に乗って高さ2m、重さ約1tの作品を作ったのですが
無事に搬入設置を終えられるか今から不安です。

この1年弱、すべてをかけて取り組んできただけに
会期が近づくとナーバスになってきて、いろいろなことが気になりだします。
そして個展初日まではこの緊張感が続きます。
予定の制作は済んでいますが、気を紛らわせる意味でも時間がある限り作り続けます。


2014年6月13日金曜日

個展のお知らせ

会期がおよそ一か月後となりましたので詳細をご案内させていただきます。

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イタリアから帰国して10年、
帰国後すぐに開いた銀座以来東京の画廊では10年ぶりの個展となります。
別に意識的に避けていた訳でもないのですが
各地のホテルや古民家、お寺や野外など
この10年既存の生きた環境で展示することに面白さを感じていたため
なんとなく白く四角い画廊スペースから遠ざかっていました。
大きな節目である今年、そんなことではいかんと思い開催を決意しました。

以前日韓展でもお世話になった入谷のいりや画廊さんで
材料である堆積岩そのものをイメージした空間づくりを考えています。
皆様どうぞご高覧ください。


「安部大雅 彫刻展」
7月15日(火)~26日(土) ※20日(日)は休廊です
11:30~19:30(最終日は16時まで)
レセプションパーティーは初日17時より
いりや画廊
台東区北上野2-30-2
tel:03-6802-8122


2014年5月22日木曜日

過去の作品

2か月以上もブログをお休みしていました。
7月の個展用作品制作に加え仕事であちこちへと行っていて書けませんでした。
さて、そんな中である日たまたま溝の口に宿を取ることになりました。
溝の口は7~8年前知人に頼まれて名古屋料理のお店にシャチホコを制作したことがあります。
しかしその作品の納品に行ったきりで設置後のお店すら見ていませんでした。
夜、近くに住む古い友人を呼んで一緒に食事したのですが
噂では改装工事のためにシャチホコは取り除かれたと聞いていましたし
何よりお店がどこにあったかも憶えていなかったので適当に他のお店に入りました。
2時間ほどしてそのお店を出るときにいただいたサービス券を見ていると
グループ店の中になんとなく記憶にある店の名が。
地図も付いていたのでもう少し飲もうとその店を目指しました。

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入った瞬間に見つけました。
壁に取り付けていたはずの金のシャチホコがレジ横に置かれていました。
事情を聴くと店舗拡大のための改装工事でシャチホコの付いていた壁を取り払い
これだけは取り外してお守りとしてここにこうして飾っているとのこと。
口の中にはお賽銭までされていて驚きました。
作った本人としては懐かしさと共に彫りの甘さなども反省しつつ
しかしこうして取っておいていただいたことがとても嬉しかったです。

使い捨てのような最近の店舗内装の中でも
ちゃんと作れば大切にしてもらえるんだと確信し、
また今後もどんな仕事でもしっかりやっていこうと心に誓いました。
僕が作った旨を伝えると店長さんが席までシャチホコを持ってご挨拶に来てくださいました。
木村屋本店という美味しくて雰囲気の良いお店です。
お近くの方は是非行ってみてください。

http://r.gnavi.co.jp/a616539/

2014年3月6日木曜日

ローマのトラバーチン

最近は制作ばかりでアトリエでのネタしかないのですが、石割り第三弾です。

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今回の石はベージュのトラバーチン、ローマ近郊で取れる多孔質の石灰岩です。
コロッセオやトレビの泉など、ローマの多くの建造物がこの石で出来ています。
とてもドラマチックで僕の大好きな石です。
以前赤いトラバーチンを割ったときにもブログで書きましたが

http://terramono.seesaa.net/article/299603017.html

赤色同様に真っ直ぐ割るのが少し難しい石材です。
今回は厚みもあるので慎重に、普段あまり使わないセリ矢を使います。

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ドリルで開けた穴にこの3パーツからなる矢を入れて叩いていく道具です。

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垂直を見ながら50cm厚の石材に45cmくらいずつ一列に穴を開けていきます。

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端まで開けたらこのように向きをそろえて差し込んでいき順番に叩いていきます。

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開きました。
横から見ると

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しっかり下まで割れています。
断面はこんな感じです。

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ここまでは順調ですが問題はここからです。
今度は水平方向、気泡の層と同じ向きに割っていきます。
層と同じ向きに割るのだから簡単そうに思えますが実は
気泡が多い箇所等、もろい方へ割れ目が逃げてしまい狙ったラインで割るの難しいです。
作業しやすいように石の向きを変えてありったけの道具で方向をガイドしました。

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上からセリ矢、両サイドからは平矢という初の試みで挑みます。

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一見綺麗に割れたように見えますが途中からドリル穴と違うところで割れています。

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これで数センチのロス、見越していたので問題はありませんが
そもそもロスを見越して割っている時点で負けている気がします。
まだまだ修行が足りません。

2014年2月16日日曜日

大雪のあと

2週連続の雪で週末退屈された方も多いかと思います。
ここ霞ヶ浦でも沢山降りましたが東京より随分早く雨に変わりました。
しかし台風のような横殴りの大雨で
先週に積もった雪まで溶かして庭は洪水のようでした。
普段水のない石の川も氾濫寸前まで水位が上がり

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下流を細くしたこともあって濁流と化していました。

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しかし雪が溶けてくれて一安心です。
アトリエの屋根も雪の重みでかなりしなっていたので作業中不安でした。
今朝は日の出前から空が綺麗で、晴れた一日になりそうです。
朝焼けを背景にまだ消えてない外灯を見るとやる気がみなぎるのは僕だけでしょうか?

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2014年2月6日木曜日

鳥からの贈り物

今年に入ってから7月の個展へ向けて家とアトリエの往復を繰り返しています。
まるでイタリアに居た頃のような生活で
制作がはかどる反面、社会と断絶したような不安を感じ続けなければなりません。
そんなある日の朝、カバーをし忘れた制作中の作品に鳥がフンをしていました。

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ここは自然豊かで沢山の鳥がいるので年に数回は被害に遭います。
大理石は吸水性が高く油や色のある液体が付いたら即処理しないと大変です。
怪我をしたときも傷よりまず石に血が付いてないかを心配します。
このフンは付着してから数時間は経っているようで
表面を少し磨いたくらいでは取れないほど色が入っていました。
ひとしきりそこらの鳥に文句を言ったら、あきらめて作品の形を変えるしかありません。

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いったい何を食べているのか、5mmほど削ってもまだまだ緑色が出てきます。
悪態をつきながらもフンに導かれるままに削っていきました。

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まあ、今回は鳥に感謝してもいいかもしれません。
自分ではやろうとも思わなかったであろうアクセントになりました。

2014年1月13日月曜日

新年

明けましておめでとうございます。
皆様本年もどうぞよろしくお願いいたします。
僕もとうとう今年で40歳、帰国して10年、
大きな節目の年と思い7月に久々の東京個展を開くことに決めました。
近くなりましたらまた詳細をお知らせいたします。
よろしくお願いします。

しかし寒いですね!!
夏は暑い暑いと連呼し、冬は寒い寒いと言って回る自分が愚かしいですが
最近ここかすみがうら市は本当に寒いです。
僕は石の仕事を屋外の北側の日陰で行います。
直射日光で石の形が見えにくくなるのを嫌ってなのですが
日の届かない北面の寒さは瞬時に手先の感覚を奪っていきます。
特にエアーの工具は圧縮空気でボディーが凍り手袋がへばり付くほどです。
昔の石の彫刻家はそれでよく凍傷になっていたそうです。
そんな訳でこの冬2つのニューアイテムを導入しました。

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一つ目は廃材を利用して自作した焼却炉です。
薪は山ほどあるので燃やして時折手をかざしてます。

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2つ目はミトンです。
各指が独立した手袋ではどんなに分厚くても凍えた指が再加熱しません。
作業しやすいように指ギリギリまで余計な部分を切り落とし縫い直して使ってます。
このビニール製が一番圧縮空気から指を守ってくれる感じです。
確か灯油を入れるとき用の物で数百円だったと思います。
冬のエアー工具にお悩みの方、お勧めです。